カモシカロングトレイル

トレイルランニング・登山・ULハイク・マラソン。書き捨て御免。※本ブログはプロモーションが含まれています。

古墳と矢じりと登山とトレラン

今年も早い物で、あと4週間を切りました。

皆さんも毎日、古墳の事ばかりを考えている所だと思います。

古墳なんて日本中にあって、全国で15万基以上、存在が把握されています・・・が!

実は諸々の事情があって気付かないふりをされているものとかを含めると、多分その倍はあるんじゃないかな、と思っています。

 

といいますのも、古墳をそのまま神社やお寺にしている物が多数存在している為、発掘調査は建て替えの時くらいしか出来ないのです。

それ以外にも、集落の跡や貝塚なんかはごくふっつーーーーーーにいたる場所に点在していますので、ご興味がある方は小川の近くの丘の斜面なんかを探してみて下さい、普通に土器や矢じりが見つかります。

 

あ、今日の記事は私がその昔サクジー(吉村作治に憧れる考古学少年)だった頃に読み漁った文献による知識に拠る物で、今更出典とかは出せませんのでご容赦を。

しかも記憶もまあまあ曖昧になっていますので、インターネッツの力もお借りして書いていきます。

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古墳や部落(本来の意味の、ね)の跡なんかは簡単に見つかる、と言いましたが、まずあなたの町の、教育委員会や博物館やなんかにお問い合わせください。

これまでの発掘調査の記録が多数残っています、恐らく日本中の市町村で存在します。

古墳はまあ時代が近いので分かるんですが、それ以前、ずーーーっと以前の縄文時代の集落跡なんかも発掘され、ちゃんと把握されています。

いかに日本人が縄文時代に魅力を感じているのか、というのがよく分かります。

旧新続石器時代の発掘調査がこれだけ行われるのは日本だけだそうです。

私も一番ロマンを掻き立てられるのが、この時代ですね。

 

発掘されていなくても、実は簡単に縄文時代の集落を探す方法があって、それは「栗、クルミ、どんぐりが密集して植えられていえる丘」です。

これはほぼ間違いなく集落跡です。

 

縄文人にとってこれらの木の実は米以前から栽培している食料で有るだけでなく、竪穴式住居の柱や梁に使われた、建材でもあります。

なぜならそれらの木は耐久性・耐腐食性に富み、丈夫であることを知っていたのでしょう。

しかしながら、木の実が取れるまで数年から数十年、建材として使えるのは更にその先ですから、縄文時代から人はかなり先のことまで、それこそ孫の代の事まで考えて栽培をしていたことになります。

現代でも見習いたいものです。

この周辺で土器片や矢じりは意外と簡単にみつかります。

これは私の友人の父で、小学校の教員だった方に教えて頂いた受け売りなのですが、実際に簡単に見つかりました。しかも沢山。

 

みなさん、矢じりと言えば黒曜石を思い浮かべるのではないでしょうか?

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教科書にも載っているので、写真をご覧になった人も多いはず。

この黒曜石が沢山取れる八ヶ岳周辺一帯はこの石のお陰で多数の人が暮らす、豊かな地域となりました。

といいますのも、この八ヶ岳の黒曜石、日本中で出土していまして、つまりは交易によって取引されていた事がわかります。

この交易を通して、豊かな生活を送る事が出来た、というわけですね。

 

同時期に、我が岐阜県にも矢じりなどの打製石器に打って付けの石、下呂石が出土しています。

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これも非常に鋭利に剥離するので、性能として黒曜石に負けるものではないのですが、出土は岐阜と富山に留まっています。

恐らくは交易路(旧東山道など)から外れていること、生産量が限られていることなどから、シェア争いに負けてしまったのだと思われます。

 

また、面白い事に、逆に八ヶ岳の集落では九州産の磨製石器が出土しており、この磨製石器、実は東日本一帯にもそれなりに出土しています。

どうも磨製石器を上手につくる集団が九州にあって、指名買いされていた様子さえ想像出来ますね。

 

こういった事から予想するに、縄文時代、まだ灌漑を伴う米の水耕栽培の始まっていない時代から、日本中で交易が盛んに行われていたのではないか、と言われています。

集落から集落へ、物と物を交換しに。

想像するだけでウキウキしてきますね。

 

皆さんもランニングがてら、周囲の丘などを散策してみてはいかがでしょうか。