どこかに書きたかった、ちょっと昔話を。
この日本の最底辺の労働者が集まるところってどこだと思いますか?
恐らく皆さんが思い浮かべるのは山谷みたいなドヤ街だと思います。
日雇い労働が底辺な理由って色々とあるんですが、
- 偽名で働ける
- スキルが無くても働ける
- 面倒な人間関係がない
こういったことから、色々とワケアリな人が集まって、さらに足元を見られて上前をかすめ取りやすいんですよね。
手配側に上前を大きくはねられても、そこで働きたい、そこでしか働けない人がたくさん集まるわけで。
だからやる気もなくなるし、底辺労働者の集まりになるわけです。
私もちょっとの期間、似たような日雇いの仕事をしていまして。
居場所と名前を偽って働く必要がある期間がちょっとだけありまして。
あ、深くは突っ込まないでくださいね。
そこはとある地方都市で、ジムショといわれる場所に、毎朝皆が集まって、仕事を求めに来るんです。
そこにセンムと言われるどうみてもアレなオッサンがベンツで毎朝やってきて、30人~50人くらいの人間に仕事を割り当てていくんです。
で、それぞれ車に乗ってそれぞれの現場に向かうわけなんですが。
この車、というのは労働者側が出すんですが、車を出すと毎日手当てが出るんです、確か数千円だったと思うんですけど。
しかし、みんな車なんて持っていないんです。
車は住所不定や偽名じゃあ持てませんからね。
で、必然的に車を持っている人間が優遇されるわけなんですが。
いつも車を出す2人が日雇い労働者の中でもリーダーみたいになっていて、一人は筋骨隆々の、当時30代後半くらいの男性。
彼はデスメタルのバンドマンでした。
「デスメタルなんて、時代遅れだからプロになんてなれないとわかってるけど、みんな諦めていないんだよ」と言っていたのが印象的でした。
当時はインディースバンドがブームで、自主販売でも売れれば億万長者になるのが夢ではない時代だったので、それを目指していたようです。
彼の現場に行くときは割と楽で、私もセコセコと働くので気に入って貰っていました。
しかし、マンションに人力でシステムキッチンを入れたりする、身体を酷使する仕事で、腰を悪くしていたのが記憶に残っています。
アレ、めちゃくちゃ重たいんですwしかも人力。工事用エレベーターは使いますが、数人でどこにもぶつけない様に持っていくのは至難の業でした。
私は一度ぶつけたので、ちゃんと撫でておきました。ゴメンなさい。
二人目はとある倉庫の仕事をメインにやっているリーダーで、クソ嫌なヤツでした。
ガリメガネ。
そいつはオドオドしている人や気弱な人をわざとキツイところに割り当てたり、一人だけいつもいた女の子(何故か可愛い子。この子もバンドマン。)をただ8時間休憩所に座らせ続ける仕事を与えたり(アレはなんだったんだ??)していました。
一度、気弱なおじさんを罵っているところに割って入ったら逆に気に入られて、コーヒーを奢って貰いました。
それ以来、「あの時コーヒーを奢ってやったんだからオレの言う事を聞け」みたいに恩着せがましくしてくるのがちょーウザかったです。
まあだいたいその二人のリーダーが大きい現場に労働者を乗せていっていたんですが、時々、ハイエースに乗った別のリーダーがいました。
彼はサーファーで、1か月働いて1か月サーフィン旅行に行く、みたいな生活を続けている人で、焼けた肌、潮風で抜けた髪色、痩せているけど筋肉質な身体、という見るからにサーファー、といった感じの人でした。
顔だけは女優みたいにキレイでした。
それなのにチャラチャラしたところもまったく無く、ただ、ふんわりとした、人間じゃないような雰囲気を漂わせている人でした。
前述のセンムに対しても、時々大型犬2匹を連れて現れるシャチョーという人に対してもタメ口で、しかもそのタメ口が生意気な感じじゃなく、優しくて心地よい。
元受けの人も、連れて行く人工も、誰もかれも惹きこまれてしまう・・・そういう人でした。
その街にいる間はカノジョの家に泊まるらしいのですが、私が「旅先でも女遊びしてるんじゃないですか?」と下衆な事を聞くと
「カノジョも自由にやってるからね。でもオレは面倒だから女の子にはあんまり興味ないよ。それなら波乗ってる方がいいもん」と。
車の中は清潔で、ただいつも砂っぽくて。サーフボードも載っているからか、どこか海っぽい匂いがしていました。
一年の半分、寝泊りに使っているとは思えないほど生活感は無かったんですが、サーフィン雑誌か何かの切り抜きだけは沢山ありました。
「乗りたい波があるトコ」だそうです。
恐らく私が生きてきて、一番カッコいいな、と思ったのはこの人です。
あの人は20年たった今、どこで何をしているのか。
恐らくおじさんになっているとは思うのですが、あそこまで何もかもが美しいと、なんだか今もあのままでいるような気さえします。
で、ここからが本題。
その掃きだめで働いていた人たち・・・の中にはたくさんの「ムノウ」な人がいました。
掛け算が出来ない人。ドモリで10分かけても一言もしゃべられない人。1時間も働くとサボりにいってしまう人。対人恐怖症の人。時々大声で叫んでしまう人。
恐らく、彼らのほとんどは普通の会社では働けません。
私は昔から教師に「特殊学級」の係に指名されたり、いじめられっ子のサポートをさせられたりしていましたから、彼らの扱いは得意だったので、コミュニケーションにはこまりませんでしたが。
「彼ら」という一括りにするのは良くないんですが、私にとっては「彼ら」ですね。
知的や、精神的なアレコレでボーダーラインにいる子たち。
またひとつ昔話。
高校生になった時、小学校の時にずっと特殊学級にいた子が、私の嫌いな不良グループの使いっぱしりにされていて。
中学生の子たちに威嚇したりして、嫌われていました。
ある時、私とばったり出会って、胸倉をつかんできて、「腕相撲で勝負だ」と根性焼きが入りまくった腕で言ってきました。
その瞬間、仲間にからかわれて根性焼きを入れたり。
根が優しいから「ケンカ」ではなく、「腕相撲で勝負」しか出来ないんだろう、人を殴れないから、とか。
色々分かってしまって。
昔の通りのコミュニケーションを取ったらすぐ彼の気持ちはほぐれて、色々と話してくれました。
根性焼きをすると褒めてくれる事。仲間が私をバカにしていたからバカにしていたこと。
髪を染めるとバカにされない事・・など。
色々と話を聞いて、すっきりしたみたいでした。
ただし腕相撲はキッチリ私が左右圧勝して帰しました。
はい、私はチビだった小学生の頃から腕相撲で負ける事ってあんまりなかったので。
その後の彼もそうです。
まだ社会に出て戦う事の出来ない装備のままで、戦わなきゃいけない。
このブログを読んでいるような皆さんはご立派な経歴をお持ちで、ご立派な能力とお仕事をしていらっしゃると思います。
努力に努力を重ねて今の自分がある、という自負もあるでしょう。
しかしその努力すら許されない環境や、努力すら思い浮かばない精神、努力できない知能で生きている人間もいて。
私は時々思い出します。
そういう立場にいつ自分が陥るか分からない。でなくとも、自分の親や子供、配偶者がいつそういう事になるのかも分からない。
だから彼らにたいする惻隠の情だけは忘れずに。優れてはいなくとも、自分に最低限の知恵や体力がある事に感謝して、社会に貢献しよう。
と、言い聞かせたり言い聞かせなかったりしながら生きていこうと思っています。
どこかに書きたかった話。最後まで読んでくださってありがとうございます。