子育てが楽しい。
子育て、といっても、育てている感覚はない。
子供がやりたいことや勉強なんかを、一緒に、全力で取り組んでいる。
かけっこなら自分もかけっこ頑張るし、全力で。
夏の自由研究も全力で研究する。
小学校通しての我が家のテーマは縄文時代と地質だ。これも相当詳しくなった。
娘の趣味の絵も、一緒に全力でやったりする。
まるで、もう一度(2人いるので2度か)、青春を送っている様な錯覚に陥る。
まさか大人になってからカブトムシを全力で探すとは思わなかった。
まさか水晶や粘土を探して山の中を歩くとは思わなかった。
これが男の子だったら、更に楽しかっただろう。
一緒にサッカーしたり、わけわからん棒を拾ってきてナイフで削って剣にしたり。
まあ、叶わなかった事は仕方ないし、無いものねだりなので、近所の男の子を見て我慢するさ。
仕事が忙しくて、睡眠時間を確保出来ない時はつらいけど、それでも楽しい。
思えばこいつらが赤ちゃんの頃も、苦とは思わなかった。寝かしつけも楽しかったし、おむつ替えもご飯を食べさせるのも楽しかった。
まあこれは、本当に最終的には自分が責任を負っている、という全国のお母さんの大変さとは比べるべくもないけど、苦しくなかった。ただ楽しかった。
子供・・・。というけど、私は子供扱いはしないことにしている。
友達・・でもない。娘は小さい恋人・・・みたいなキモいのも違う。
例えば職場の同僚や友人と同じように配慮するし、相手にも配慮を求める。
そりゃねーだろ、ということは注意するし、注意もされる。最近はされっぱなし(行儀とか部屋の掃除をしろとか言われる)。
お互いを思いやって、助け合う。それが結果的にむしろ手助けにならなかったとしても、家族というチームに貢献する気持ちを持ってくれたことに、感謝をする。
そう、チームメイト、かもしれない。
仕事をする上で、理想をするチームを作れる、もしくはそのチームに参加できる事はあまりない。
私は、今までの人生で2度しかない。
だから、家族であっても、完全にうまくいくチームになんてなりえないし、少々トラブルを抱えているほうが普通だろう。
それなのに小さな事を気にして、ひとり責任感を感じるなど意味がない。
チームなんだから、みんなで乗り切ればいいんだ。
なんなら、乗り切らなくても、いいのかも知れない。
日々を楽しく、将来の為に努力し、得た成果の喜びを分かち合う。
大人と子供であっても、対等な人と、人なんだ。
いざというとき、「助けて!」と誰かが、いや、家族全員が言ったとしても、家族全員を抱えてその場所から逃げられる父親であれば、あとは楽しめばいいんじゃないか。
そんなことを、今年の桜を見て思いました。本当、日々生きられることに感謝だ。