おはようございます。
やっと世間から例の記事について触れられなくなってきたので、Twitter活動を再開しております。
しかしながら、昨日何人か、というか10回くらい、「カモシカする」「kmskしそうになった」みたいなツイートを拝見しました。
あ、ちなみにカモシカ、kmskというのは私のアカウント名です。
人の名前をう〇この隠語として使うな。
ランニング中、登山中に漏らす事の専門用語みたいに使わないで。
やっと鎮火したと思っていたのに、なんかこのままずっとそういう使い方で残りそうな気配がするよ・・。
表題の件を語る前にこの話題はどうかと思ったけど、どうしても気になったので書きました。
で、本題ですが、先月末、動画配信中に富士山の山頂付近で滑落し、男性が無くなった事故の件、こちらも(一緒にするなど不謹慎極まりないですが)やっと世間の耳目が向かなくなってきたので、書きたかった事を書きたいと思います。
今回は生放送していた、「滑落した瞬間の動画」が衝撃的で、登山者だけでなく多くの人に注目される事故となりました。
見つかって良かったですが、700Mほど滑落していったので、相当、御遺体の損壊が激しかったそうです。
動画は現在、youtubeなどで見ることが出来ますが、あの方々は何の権利があってあの動画をアップしているのだろうか・・・。
しかし、本当にあの動画は今後の戒めになりました。
私は遭難体験談が好きで、書籍やブログを漁っては読んでいます、これは以前も記事で話した通り。
ただ、当たり前の話なんですが、読むことが出来るのは生きて帰った人の体験談だけです。
それでも生々しく、ウジ虫と格闘したり、解放骨折の骨を押し戻したり・・・と、恐ろしい話であるとともに、そこに生への渇望、家族にまた会うんだという執念、そういうものが垣間見えて、数十倍のボリュームの小説よりもずっと感動したりします。
とともに、遭難しない為の教訓、リスクマネジメントにも生かせるので、皆さまにもオススメしたいくらい。
特に、単独行を好む登山者・トレイルランナーは、是非読んで頂きたい、多分図書館にあるので、借りて見て下さい。
しかし、今回の動画。
これは、恐らく日本で初めて滑落死する瞬間を滑落者目線で捉えたレポートであると思います。
とにかく恐ろしい動画です。
と、ともに、あのリアリティ・・それまで笑って歩いていたのが一瞬で死に向かうという恐怖。
恐らく今後、一生、私はあの動画を忘れないと思います。
あの滑落動画について、周囲の登山者たちと話をしますが、多くの人が「あの動画を見て良かった、気を引き締めるきっかけになった」といいます。
みんな、同じようなヒヤリを経験しているんですね。
春の雪渓で滑って、緩やかだったから助かったり。
岩に付いた雪で滑って転んだり。
アイゼンの掛かりが甘くて斜面で転倒したり。
そういう経験は、皆あると思います。
ただ、「まさか自分が死ぬわけない」と思っていたと思います、この映像を見るまでは。
だって、普通に歩いていただけだから。
仲間も一緒にいたから。
ピッケルも持っていたから・・・。
いままで色々と正常化バイアスも働いて、「自分は大丈夫」と思ってしまっていました、私も。
でも、あの滑落した彼がまさに「危ないけど自分は大丈夫だろう」という雰囲気から一瞬で滑落、お亡くなりになられた映像。
アレを見せられて、自分の認識は本当に甘かったな、と思いました。
私も多分、紙一重だったことが沢山あります。
多分っていうか、いくつも思い当たります。
だから、彼がお亡くなりになった事は残念だけれども、多分今後、数多くの遭難死するかもしれなかった人の命を救ってくれた、と思っています。
あと今回、とても腑に落ちない事が一つ。
登山者では、今回の彼に、装備の甘さ、判断の甘さを指摘する人はいても、彼を根から批判する人は少なかった様に思います。
しかし、テレビのコメンテーターのアホ丸出しのマウンティング発言。
まるで見てきたかのようにダメ出しをし始めるタコスケたち。
更には登山をしたことのない人、もしくは年をとってから登山を始めた人までがSNSで彼を徹底的に叩いたり、こき下ろす様な事を書いていました。
「山を舐めてる」。
って。知らないじゃん、山を。
熟練の登山者やガイドさんが生きている人に「そのやり方、装備は山を舐めてる。こうしなさい」というのは、時に鬱陶しいけれども、ありがたい事だし、必要だとおもうんです。
でも、素人のクソコメンテーターが死体になった人を指さして「あいつはこれが足らなかったから山を舐めてる」なんて意見は、結果論だし必要ない。
というかそれ、役に立たない。
検証できていない素人の予測とか、市井のミニミニコナン君でしかない。
ウチの幼稚園児でもやってるわ、そんなの。
なんか腹が立ってきた。
とにかく、滑落したあの方は私にとって命の恩人です。
多分あの映像を見ていなかったら、私はどこかで死んでいたかもしれないですから。
ああ、また取り留めのない、締まらない記事を書いてしまった・・・。
締まらないのはケツだけにしとけ、ってそれ言うな!
という記事でした!